路線詳細説明

岡山線詳細路線図

 瀬戸急岡山線の始発駅である飾磨駅は、瀬戸急神姫線との乗換駅。ここから、姫路方面と神戸・大阪方面に向かっている。飾磨駅西方で、神姫線姫路方面の線路が右へカーブして曲がっていくと、岡山線の線路は築堤に上る。飾磨工業高等学校の西側が、国鉄播但線(通称・飾磨港線)との交差ポイント。船場川を渡ると、線路はゆるやかに左に曲がり、また築堤から地平に戻る。再び左手に線路がカーブした先に西飾磨駅がある。地上相対式2面2線の駅。周辺は元々、夢前川・水尾川の河口であることから港町であった。後に英賀城が築城され城下町として発展した地域である。また、豊臣秀吉の播州征伐の際、亀山本徳寺はここから亀山駅前に移転している。

 

 西飾磨駅出発直後、水尾川を越え、さらにその先で夢前川を超える。夢前川で右手にカーブし、少し進むと広畑駅。地上相対式2面2線の駅。広畑の元来の中心地は、駅北東部であるが、浜手側に新日鐵の工場が進出した後には、企業城下町として発展している。以前は、工場通勤者向けの社宅があり利用者も多くみられたが、1980年代に取り壊され、以降は乗降客が減少している。

 

 広畑駅を出て、右手にカーブし、汐入川を渡って少し進むと、大津駅。地上相対式2面2線の駅。元々、農村として発展した地域であったが、1930年代から製鉄関連の工場が港湾部に進出し、広畑と同様、製鉄関連の企業城下町として発展した。しかし、製鉄所の縮小により人口が減少している。なお、戦前はこのエリアは揖保郡大津村であったが、戦後、飾磨郡広畑村やその他周辺の村と一緒に、姫路に合併された。

 

 大津駅より先、直線的に住宅地を進んでいく。大津茂川を渡るところで、大津区から網干区へと入る。程なくして、瀬戸急網干駅である。地上2面4線の駅。海側1番線が頭端式ホームの変則的な形状をしている。駅東側には網干車庫が併設されている。元々、このあたりは網干沿岸は遠浅な海であり、イカナゴ漁や海苔の養殖が盛んな漁業の町であった。ここの沿岸部も、1910年から工場が進出し、工業都市の性格を有するようになった。なお、駅前の道路には、播磨新宮と網干港を結ぶ軌道線である播電鉄道が走っていたが、播電鉄道は1934年に廃線となっており、瀬戸急網干駅開設は1941年なので、営業期間は重なっていない。なお、網干のアクセントは、「ぼし」ではなく、「あし」である。

 

 

 

 

 網干駅を出ると、これまで複線であった線路が単線と変わり、上り勾配となり、揖保川を渡る。渡河直後は再び地平に戻る。ここは揖保川とその支流・中川により形成されている中州となっている。中川を渡るために、再び上り勾配となり、川を渡る直前に、北沢産業網干鉄道の廃線跡をオーバーパスする。この鉄道は国鉄網干駅と中州沿岸部の工場を結んでいたが、1989年に廃止されている。中川の本流を渡ると、姫路市を抜け、たつの市となる。ここも中川の本流と支流で形成された中州であり、再び支流を渡ることになる。国道250号と沿うように西進すると、御津に到着する。地上島式2面3線の駅。この駅は、旧御津町の中心駅であった。御津町は2005年に周辺市町村と合併し、たつの市となっている。旧御津町の姫路市への通勤率は40%程度であり、姫路市との結びつきが強いエリア。御津駅から南に向かうと、遠浅の海水浴場である新舞子海水浴場や「一目二万本」と称される綾部山梅林があり、観光要素が豊富なエリアでもある。

 

 

←網干~御津の単線区間を走る普通電車

 (網干~御津)

 

 

  御津を出ると、再び線路は複線となる。徐々に車窓が平地から山に囲われるようになり、ゆるやかな上り勾配で築堤上に上がると、岩見駅。築堤上相対式2面2線の駅。駅から周辺を見ると、農村地帯であるが、国道250号をもう少し西に進むと漁村が広がっている。

 

←水田のそばを走る普通電車

 (御津~岩見)

 

 

 岩見駅西側は左右の山が迫り、いよいよ行き場を失うように見える。ここで、線路は右に大きく曲がり、山にぶつかり、トンネルに入る。一旦、トンネルから出ると、国道250号越しに岩見の漁港の街が見えるが、すぐに再びトンネルに入ってしまう。瀬戸急岡山線は、このまま北側に向かうが、国道250号はこのまま険しい半島沿岸部を南に進む。あまりに険しい区間なので、「七曲り」の異名をもつ。半島の先に古くからの港町である室津がある。室津は古代からの船舶寄港地として発展し、今でも当時の面影を見ることができる街並みが残る。瀬戸急を利用して向かう場合は、岩見駅からバスを利用するしかない。さて、岡山線の線路は北側に進路を取り、トンネルを抜けたところで左に大きくカーブする。カーブしている途中にある駅が馬場駅。地上相対式2面2線の駅。読みは「うまば」。先述の室津と西国街道を結ぶ街道筋の町として形成された。参勤交代の大名の通り道であり、本陣を有すなどの宿場町であった。現在は、盆地の農業集落である。

 

←紅葉の中を進む普通電車。夕暮れ時の風景。

 (岩見~馬場)

 馬場駅を出ると、線路はまた単線となる。山に向かって進み、再びトンネルに突入する。この山は、御津山脈と呼ばれている。御津山脈の最高峰は雄鷹台山の310m。瀬戸急の線路は、雄鷹台山の北側を抜けている。また、御津山脈の尾根がたつの市と相生市との市境となっており、トンネルを抜けると相生市に入る。進路を北に向けるように、右に曲がる途中で野瀬駅となる。地上相対式2面2線の駅。野瀬は、関西では干瓢の名産地として知られていたらしく、大阪から買い付けに来るほどだったとか。

 

 野瀬駅北側で、再びトンネルに入る。遠見山の東側をトンネルで抜けると、元々の相生集落に出る。直後、再びトンネルに入り、相生小学校の裏側を通る。トンネルを出て、またすぐにトンネルに突入。天神山の下を通る。ちょうど、相生集落を避けるように、山裾に沿ったルートを取っている。天神山から出るとすぐに、瀬戸急相生駅である。高架島式2面4線の駅。駅の北側には市役所があり、市の中心地に位置する。駅南側には、相生湾が目の前に見える。相生湾の対岸にIHI相生事業所がある。相生はIHIの企業城下町として発展した側面があるが、近年の縮小化で過疎化が進んでいる。駅南東側には、昔、皆勤橋という浮橋があり、そこを工場の社員が渡って通勤していた。2000年代初頭に廃橋している。なお、相生の読み方は元々は、「おう」であったが、1939年に町名を「あいおい」と変更している。

 

 瀬戸急相生駅を出た後は、相生湾の北岸沿いを進み、左にカーブしながらイオンタウン相生の北側を通る。トンネルを抜けると、南に進路を向け、佐方川を渡った先に、佐方駅がある。築堤上相対式2面2線の駅。駅周辺は閑静な住宅街である。

 

 

 

 

 佐方駅を出ると、線路は谷へと進み、再びトンネルに入る。高取峠をトンネルで越えると、相生市から赤穂市へと入る。線路は南西に向かって、直線で進み、千種川を渡河した先に、坂越駅がある。地上相対式2面2線の駅。坂越の中心地は、千種川を渡った対岸のエリア。坂越湾に面した港町であり、播磨灘の中の天然の良港として発展した。都市景観大賞にも選ばれたことがある伝統的建造物の古い町並みと坂越湾の美しい景色で知られている。また、坂越駅から国鉄有年駅までを結んでいた、軌間762mmの軽便鉄道由来の瀬戸急赤穂線が走っていたが、1960年代に廃線となっている。

 

 坂越駅を出ると、再び複線へと戻る。雄鷹台山(先述の相生の同名の山とは別)の南東側の山裾に沿うように進み、右にカーブすると、街中に入り、播州赤穂駅に到着する。地上島式2面4線の駅。赤穂は忠臣蔵の舞台として有名であり、赤穂城の城下町として発展した街である。また古くから、塩田の街として知られ、赤穂の塩は全国に流通している。また、赤穂市は、実はカルデラ(赤穂カルデラ)の中にあり、東は先述の御津山脈、西は寒河までを含めた非常に大きいカルデラであったことが、2016年に判明している。

 

 

 

 赤穂駅を出ると、しばらくは赤穂の市街地を進むと、一転して工場地帯と中を進むようになる。このエリアは西浜工業団地と言い、1960年代に塩田を埋め立て造成された。赤穂港の入江を渡ると、鷆和駅に到着する。地上相対式2面2線の駅。こちらの駅の南側には西浜地区と同様、工場が建ち並ぶ。鷆和という名前は、鷆和村発足時につけられたもので、真木村と鳥撫村が合併する際、両村が和するようにとのことで、両村の漢字を使用している鷆に和という名前とされた。なお、今では鷆和村も赤穂市に合併されている。

 

 鷆和駅を出ると、山の鞍部となっている鳥打峠をトンネルで抜ける。抜けた先に、福浦駅がある。地上相対式2面2線の駅。南側は一面田んぼが広がっており、北側が福浦の集落である。このエリアは元々、備前国であり、岡山県に属していた。1963年に岡山県日生町から赤穂市へ越県分離・合併となっている。なお、日生町に合併する前には福河村であったが、これは福浦村と寒河村が合併したことにちなむ。

 

 

 

 東・西・北が山に囲まれた福浦駅を出ると、再び線路は単線へと変わる。トンネルに

入り、福浦峠を越える。先述の通り、福浦が兵庫県となったため、岡山・兵庫県境は鳥打峠から福浦峠側へ移っており、このトンネル内で岡山県備前市に入る。トンネルを出ると、寒河の集落内に入り、寒河駅となる。瀬戸急では珍しい地上相対式1面1線の駅。この辺りは、リアス式海岸が形成されており、天然の良港として、昔から漁業の盛んな地域であった。平城京からも「備前国邑久郡方上郷寒川里」と書かれた木簡が出土しており、魚を税として納めた荷札であると言われている。

 

 寒河駅からは南西方向へと線路は進み、日生運動公園を越えたところで、トンネルに入る。右にカーブしながら、2度目のトンネルを抜けると日生駅である。築堤上島式2面4線の駅。駅前は日生港となっており、フェリーに乗り換え、小豆島に渡ることができる。瀬戸急電車の各駅から小豆島行きの切符も購入可能だ。また、日生の旧市街地は、日生駅と次の三軒屋駅の間に広がっている。日生のB級グルメであるカキオコ(牡蠣入りお好み焼き)のお店もこの辺りに多い。なお、日生駅の住所は備前市日生町寒河であり、少し街はずれの位置。あと、平成27年度に、駅そばから日生諸島鹿居島に渡る備前♡日生大橋が開通している。橋の名前に♡が付くものも珍しい。

 

 日生駅の先は、日生の中心街を避けるように、山側へ周り、トンネルで抜ける。2つトンネルを抜けると、三軒屋駅である。築堤上相対式2面2線の駅。ちょうど、日生の市街地の西端に位置する。三軒屋駅以降は、瀬戸急に合併された備前鉄道の路線を踏襲しており、この三軒屋駅は、備前鉄道の日生駅であった。飾磨駅から三軒屋駅までが瀬戸急で新設した路線であり、この駅で接続した。

 

 三軒屋駅を出ると、線路はまた複線へ。木生峠を国道250号に沿って掘割で進み、集落に出たところが木生(キブ)駅。地上相対式2面2線の駅。日生はヒナセと読み、木生はキブと全く読み方が違うのも面白い。

 

 

 

 木生駅を出ると、線路は東片上駅まで単線になる。東備港が行く手にあるため、

山裾を迂回するように北へ進路を変える。伊里川に並走するようになると、伊里駅となる。地上相対式2面2線の駅。旧伊里町内には日本最古の庶民学校である閑谷学校があるが、伊里駅からは北に6km程離れている。(JR山陽本線吉永駅の方が近い)

 

 伊里駅を出て左にカーブし、伊里川を渡ると、トンネルに入る。トンネルを出た先に、東片上駅。地上相対式2面2線の駅。周辺は住宅街が広がっている。片上の中心地は次の片上駅周辺である。

 

 東片上駅を出ると、複線へと戻り、次第に車窓は街中へと変わる。左手に工場が見えると、線路はゆるやかに左にカーブし、片上湾のそばに来ると、片上駅となる。地上島式2面4線の駅。以前は、この片上駅に柵原駅・和気駅を結ぶ片上鉄道も乗り入れていた。岡山線の前進の備前鉄道と片上鉄道は元々同じ会社だったからだ。しかし、片上鉄道は1991年に廃止となっている。この駅周辺が片上町の中心地で、古くから港町・宿場町として栄えた。備前市の中心地でもある。

 

 

 

 片上駅を出ると、片上湾と茶臼山・田井山の間を走る。田井山の南側を回り込むように進み、馬場川を越えた先に伊部駅がある。地上相対式2面2線の駅。伊部の町は、日本の六古窯中でも最も古い窯場である備前焼の町である。この伊部地区で盛んであることから、備前焼は印部焼の別名も持つ。その歴史は長く、約千年にも及ぶ。

 

←田園の中を進む特急電車

 (片上~伊部)

 

 

 伊部駅から先は、再び線路は単線となる。西大平山と医王山が迫り、幅の狭いエリアを通ることになるが、その大部分を大ヶ池を占めており、平地は少ない。線路は大ヶ池の南側を通り抜ける。ちょうど大ヶ池を過ぎたあたりに、行き違い設備の大ヶ池信号場が現れる。大ヶ池信号場を出ると、田圃が広がる開けた場所に出て、しばらく進むと香登駅。地上相対式2面2線の駅。香登の集落は駅の北側、城山南側の裾野の東西に広がっている。その町の中を山陽道が通っており、香登の街は宿場町として栄えた。また、明治時代初期にはお歯黒の名産地であった。

 

 香登駅を出て、NTT岡山製作所を左に大きく回り込む。備前市から瀬戸内市に入った先に長船駅がある。地上式相対式2面2線の駅。当地は、刀剣の産地として知られている。材料がそろい、刀剣の製作の適地であったからだ。また、吉井川と山陽道が交わる要衝であり、長船の刀が全国に流通した。

 

 長船駅からは線路は再び複線となる。香登川と並行しながら南下し、福岡駅に到達する。地上島式2面4線の駅。駅周辺は住宅地が広がるが、これは新興住宅地であり、元々の集落は吉井川沿岸にある。この集落は鎌倉時代に、吉井川と山陽道が交わっていることから、物流拠点として発展した。福岡市(ふくおかのいち)として知られ、西国一の賑わいであったと言われる。江戸時代に商人が岡山城下町に強制移住させられたこと等により、次第に衰退し始めるが、岡山藩保護のもと、活気を維持していた。明治時代以降に岡山藩の保護がなくなり、農村化してしまっている。

 

 

 

 福岡駅を出ると、香登川が合流した千田川を渡る。甲山と我城山に間を抜けたあと、一直線で南下し、右にカーブし始めたところが邑久駅である。地上相対式2面2線の駅。一帯は古代に開発された干拓平野である千町平野が広がる。元来農村集落であったが、岡山近郊の住宅地として戦後発展している。駅南東側には瀬戸内市役所が設置され、市の中心地となっている。

 

 邑久駅の先で、線路は西に進路を向ける。水田地帯をまっすぐ抜け、平野に真ん中にある山のふもとに到達すると大富駅である。地上相対式2面2線の駅。周辺は昔ながらの農村集落が点在している。また、先述の山上には中国三十三観音霊場第二番札所である上寺山餘慶寺がある。

 

 大富駅を出ると、まっすぐ山に向かい、トンネルで抜ける。トンネルを抜けたところで、左手から単線の線路が合流してくる。これが瀬戸急牛窓線である。吉井川を抜け、左にカーブしながら、築堤から地上に下りると、西大寺駅に到達する。地上島式2面4線の駅。西大寺の街は、元々吉井川の高瀬舟と瀬戸内廻船の物資集積地として栄え、また西大寺の門前町として発展した町である。毎年2月に日本三大奇祭の一つである裸祭り(西大寺会陽)が開催されている。

 

 西大寺駅を出ると、国道2号をアンダーパスし、砂川を渡る。芥子山のふもとまで来たら、松崎駅に到達する。地上相対式2面2線の駅。元々の集落は駅北側の山の麓の集落であるが、駅南側には岡山市のベッドタウンとして開発された新興住宅地が広がる。先述の芥子山には、江戸時代に備前国の産土神に関する祠・社約1万社を合祀した大多羅寄宮跡があり、国の史跡となっている。

 

 

 

 松崎駅からは芥子山南端を通り、旭東中学校付近で右にカーブし、県道383号を渡る。県道は右にそれるが、瀬戸急の線路はそのまままっすぐ進み、百間川との最接近部に到達すると長利駅。地上相対式2面2線の駅。付近を流れる百間川は、旭川放水路とも呼ばれ、江戸時代初期に岡山城下町を旭川の氾濫から守るため築造された。1970年代から90年代にかけて、河川改修工事が行われ、今の形となっている。

 

 長利駅からもまっすぐ線路が進むが、国道250号と交差する手前で右にカーブする。高架で、国道250号を越え、左に大きくカーブすると、長岡駅となる。高架島式2面4線の駅。駅北側にロータリーがあり、ロータリーを挟んで反対側にJR山陽本線東岡山駅がある。駅西部には鉄工団地が存在するほかは、新興住宅地が広がっている。

 

 長岡駅を出ると、しばらくの間は鉄工団地の中を進む。左にカーブし、進路を南西にとると、鉄工団地を抜ける。そのまま地平に戻ると、住宅地の中を進むようになる。しばらく進むと、幡多駅である。地上相対式2面2線の駅。大正期には、鳥坂山の虚無蔵大師(ゴロゴロ大師)が流行り、関西からも参拝客が来るほどだったらしいが、一時期の流行で終了している。

 

 幡多駅からも、そのまままっすぐ南西に住宅街の中を進む。県道96号を越えたところが、藤原駅。地上相対式2面2線の駅。駅北側1km程離れたところに、JR山陽本線高島駅がある。運輸局があるため、周辺は自動車関係の事業所が多い。

 

 藤原駅を出ると、百間川を渡る。県道402号を越え、左にカーブすると、単線が分岐し、瀬戸急岡山線の本線は地下に潜る。この単線は瀬戸急後楽園線へと繋がる連絡線である。岡山線の線路は国道250号直下を到達したところで森下駅となる。地下相対式2面2線の駅。この地下区間は、1990年代に開通した岡山市内延長線であり、それまでは後楽園線が岡山線であった。後楽園線の森下駅は地上にあり、改札外連絡となっている。

 

 

 

 

 

岡山都心部(岡山市内線路線図より抜粋)
岡山都心部(岡山市内線路線図より抜粋)

 森下駅を出ると、国道250号直下を進み、右にカーブした後は、旭川の相生橋直下を通る。旭川を過ぎたところで、岡山城駅に到達する。地下相対式2面2線の駅。駅周辺は、県庁はじめ、県立図書館、県警本部などがあり、行政の中心地となっている。また、駅北側には駅名のとおり、岡山城がそびえる。

 

 岡山城駅を出ると、県庁通り直下を進み、天満屋の地下まで来ると、表町駅。地下相対式2面2線の駅。駅周辺は岡山の商業地の中心地となっている。なお、駅東側に出れば、岡山市内電車の県庁通り停留所、駅西側に出れば、郵便局前停留所に出られ、乗り換えることが可能である。

 

 表町駅を出てからも、県庁通り直下を進み、市役所筋との交差点で、右にカーブする。カーブした先で、岡山線の終点・岡山駅となる。地下頭端式3面4線の駅。JR岡山駅は、瀬戸急の岡山駅の北側に位置する。また、岡山駅周辺は表町と対をなす岡山の商業地であり、2014年にイオンモールが駅南側に開業している。

 

 

 

●岡山線全体路線図